約束のネバーランド、感想

 

今、話題のアニメ
『やけくそのネザーランド』

もとい、

『約束のネバーランド』

を見た。

アマゾンプライムで無料で見れるので、
がっつり、
シーズン2まで見た。

二倍速で。

で、感想。

 

幼い6歳から12歳の子供が、
鬼の食料として、
施設で人間に飼育されている
という話である。

鬼の食料として、
鬼が飼育しているのではなく、
人間(修道女)が世話をしているというのが、
複雑なポイントとしてまずある。

最初、約束のネバーランドの構図を

家畜vs人間=人間vs鬼

の比例関係で見ていた。

人間の世話を人間がしているというところで、
いわゆる酪農とは、
少し違う様相を呈していることに気づく。

けっこう複雑な世界だなぁ
という感想。

僕は一応、農家として、
野菜をこちらの都合のいいように育てるとか、
狩猟でシカを狩る場に同行をする、
といった経験を通じて、

約束のネバーランドの物語を眺めている。

で、
物語の主人公「エマ」が
物語の後半部分で、

「鬼にも子供がいて、
兄弟がいて、
家族がいて、、」

ということに気づいて、
「鬼のことを殺さない」
という方向で、

人間の解放を進めようとする。

だけれども、
それをいったら、
狩りで鳥を殺すのどーなん?

とか、
変なヌルヌルした鯉みたいな魚殺すのどーなん?

とか、ならないところが、
やはり人間の怖さということではなかろうか。

鬼を殺さないという方向で進めつつ、
しかし一方で鳥や鯉をシンプルに食料としちゃうあたり。

いいんだよ。

全然いいんだが、
であるならば、
別に鬼を殺しちゃってもいいと思うし、

なんでノーマンとそこで謎にもめるかな、、っていう感じである。

最終的な結論としては、
人間にしたら、人間が一番怖い
というところになるんだろう。

こういう複雑なところを考えていくと、
人間の話している
「理屈」
ってやつに信用をおけなくなる。

見えていないものが多すぎて、
理屈の適用範囲が限定的であることに気づく。

ニュートン力学というのは、
相対性理論や、
量子力学を知ったとしたら、
ある意味では、間違っている。

が、
ニュートン力学から始めないと、
量子力学は始まらなかっただろう。

結局、
ニュートン力学は、
ひとつの世界の説明方法であり、
「真実」
とやらではない。

暫定的な説明に過ぎない。

で、この世は
暫定的な説明のオンパレードで成り立っているので、
そんな説明や理屈に縛られずに、

楽しく好きなように生きていけばいいんだろうな
と思う今日この頃であった。

 

おわり

 

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